​ロボットは人間に近づくのか、ロボットであり続けるのか

こんにちは、遠野です。

先日、「変なホテル」というホテルを見かけました。

ご存知でしょうか?
世界初のロボットホテルとして一時期話題になっていましたが、直接ホテルを見つけたのは初めてでした。

東京では、浜松町や銀座、赤坂、羽田などにあります。
愛知や長崎(ハウステンボス)にもあるそうで、非対面のチェックインなどコロナ禍という時代背景ともマッチし、人気を博しているようです。

初めてニュースで見たときは、恐竜がチェックインしていたり、人間とそっくりなアンドロイドが対応していたりと、少し驚いたのを覚えています。

ロボティクスやAIの技術の発展に伴い、こういったロボットと触れ合う機会は増えていくでしょう。

実業家で投資家の嶋村吉洋さんも、近年ロボティクス事業やドローン事業など多岐に渡る最先端技術への投資をされており、今後の注目度が伺えます。

進歩目覚ましい分野ではありますが、アンドロイドやロボットが人間に似てくるにあたって、避けられない現象があります。

「人間のようだ」とロボットが人間に近づくときに人は好感度を覚えます。
ただ、ある一定のところまで似てくると、人間にそっくりなのに、どこか違和感や嫌悪感を覚える。
人間に近づけば近づくほど、その思いは強くなる。
そして、全く人間と同じに見えるとその思いは消えていく。

そんな好感度が一気に急落する現象が、ロボットやアンドロイドの世界で存在します。

「不気味の谷現象」です。

越えるべき大きな事象「不気味の谷」

人間への類似度があるレベルに到達した途端に、強い不気味を喚起するようになります。その後、リアルな人間とまったく同じレベルの類似度になると、人間と見分けがつかなくなるので好意度が回復すると考えられます。
ロボット工学者の森政弘氏は、好意度の急激な落ち込み極値を谷に見立ててこの現象を「不気味の谷」と名付けました。

アンドロイドへ抱く不気味さの正体は未知への不安
アンドロイドへ抱く不気味さの正体は未知への不安

なぜこのような現象が起こるかは諸説あります。

ロボットなのに自律的な思考力や精神を持つというその認識が違和感につながる、人間か人形か分類が困難なことが不気味さにつながっている、などすべてが原因のようにも思いますが明示はされていない状態です。

今でもいろんな実験が行われているそうで、そのメカニズムは引き続き研究されています。

人型ロボットの「不気味の谷」 実験でメカニズム解明

「未知のもの」に対する恐怖感も関係しているのでは、という声も多いようです。

確かに、何なのかわからない虫や見たことのない動物は、無条件に恐ろしかったりします。

いわゆるゲテモノのような食べ物は、一見して食べたいと思えるようなものではない見た目のものもあります。

もっとも、現象の原因がわかっても現象自体はなくならないので、ロボット工学やアンドロイドの研究や世の中への普及を考えると向き合い続ける問題なのかもしれません。

とはいってもすでに、本当にロボット?CG?と思うほど高度な技術も発展しています。

ロボットは、いずれ人間になっていくのでしょうか。

ロボットはどこまで人間に近づくのか

ご存知の方も多いかもしれませんが、世界で最も有名なAI搭載型ロボット、アンドロイド『ソフィア』という”女性”がいます。

ロボットなのにサウジアラビアで市民権を獲得し、国連でのスピーチも行ったそうです。

彼女の言葉は、まるで人間よりも遥か高次元に生きていて、人間が捉えきれない世界から提言しているような、そんな会話のほんの一部が動画にまとめられています。

また、AI同士の会話もこんなにもスムーズに、高度な会話がなされています。
AI同士の対談というのも、少し恐ろしいですが興味深い会話内容です。

果たして、もはやロボットの世界だけの話ではなくなりますが、一体ロボット、アンドロイド、AIはどこまで人間に近づいていくのでしょうか。

ちなみに3DCGの映像ですが、CGでもほぼ人間のような動きをする映像が公開されています。

それでも、どこか人間じゃない、と僅かにでも感じる、その共通した感性が不気味の谷現象を引き起こしているのかもしれません。

このように、ロボットもアンドロイドも映像も、人間に近づいてきています。

そう遠くない未来、人間と遜色ないロボットやアンドロイドが当たり前のように生活していて、日常に溶け込んでいる、といった光景も見られるかもしれません。

不気味の谷を越えた存在は、人間なのでしょうか、ロボットなのでしょうか。

これからも多くの研究、実験を通して、知見が広がっていく世界であることが予想できます。

最新技術にワクワクや楽しみを感じる一方で、AIやロボットが共にいる世界への一抹の不安を覚えるのも、どんな未来になるかわからない「未知のもの」に対する感情なのかもしれません。